(2日目から続く)
1日目も2日目も快晴でめちゃくちゃ暑かったことから、kmさんは「朝明るくなったら日が出る前に戻りましょう」と言っていたが、私が「せっかくなので御来光を見てから戻りましょう」と主張したため、御来光を見てから梵天岳を発つことになった。(2018年4月30日)
御来光を待っている時に単独のおじさん?が登ってきた。おじさんは鞍部にテントを張って泊まっていたそうだ。「昨日そこの鞍部に熊がいたので気をつけて」と余計なお世話かもしれないが念のため言っておいた。
高幽山に向かって歩き始めてすぐに、kmさんの言うとおり日が出る前に歩き始めるべきであったと後悔することになった。今日も快晴でめちゃくちゃ暑い。蜃気楼が見えるのではないかというくらいの暑さだ。前日までの疲労とも相まってイキナリ吐きそうになりながら歩く。
高幽山に登り返している時に高幽山からおじさん?がスキーで降りてきた。おじさんは坪入山から鞍部に降りる途中で一泊したそうだ。この雪の状態でスキーでここまでくるとは凄まじい体力だ。
なんとか高幽山に登り返し、また鞍部に降りたが、その時点であまりの暑さと疲労でノビてしまった。体が動かない。。この状態では下界に降りられないのではないかと本気で思えてきた。なぜ私はこんなところまで来てしまったのだろうか。やはり素人下山家勤め人には分不相応すぎたようだ。生きて帰れないかもしれない。みんなにもっと感謝して優しく生きてくるべきだったというような走馬灯のような思いがこみ上げてきた。
これ以上はkmさんにも迷惑をかけてしまいそうだということで、kmさんに先に行ってもらうことにした。稲子山の登りが酷かったため、あそこを下ることは有り得ないということで意見が一致していたので、慣れた窓明山経由で下山し、申し訳ないがkmさんに車を回してもらうことにした。なんとも情けない。。
kmさんが行った後、しばらくしてヨレヨレになりながら坪入山へ登り返し始めた。凄まじい暑さで体が動かない。牛歩戦術以下だ。。kmさんがどんどん遠くなっていく。このペースでは今日のうちに下山することも難しそうだ。
満身創痍で休み休みゆらゆら登り続ける。途中、さっきのスキーおじさんのテン泊跡があった。振り返るとスキーおじさんも戻ってきているのが見えた。
もう丸山岳なんてしない。と何度も思いながら坪入山までなんとか戻った。既にkmさんの姿は全く見えない。坪入山でまたノビてしまった。。既に13時だ。
午後になり、坪入山から窓明山への登り返しはまさに灼熱地獄であった。思い出したくもない。少しでも涼みたいと木陰に入りながら休み休み進むが木陰でも凄まじい暑さだ。何度も木陰でノビながらなんとか進んでいく。まさに生き地獄だ。
1,775mのピーク手前からは藪地獄だ。雪が少ないこともあり、藪が露出しまくりでさらに場所によっては枝も多く、磔の刑のようになってしまって全然進めない。ますます体力が奪われていく。少しでも歩きやすそうな場所を探して何とか窓明山へ近づいていく。振り返るとスキーおじさんも戻ってきているのがまた見えた。
窓明山に着いた時には既に16時になっていた。雲が出てきていて日が少し隠れて涼しくなってきた。疲労的にはもうここで1泊したいくらいであるが、kmさんを待たせることにもなってしまうため、根性で降りることにした。
亡霊のように歩き続ける。家向山の時点で18時となってしまった。段々暗くなる中、一人さびしくヘッドライトをつけて降り続ける。足も死にかけているが、生き延びてやる!という気持ちだけで足を動かし続ける。
20時過ぎに遂に国道352号線に降り立った。生きて帰ってこれた。こんなに下山できて嬉しかったことはない。kmさんが車を停めて待っていてくれた。私より10kmくらい余計に歩いて車を持ってきてもらったことになる。感謝しかない。
この時間で入浴できるのは駒の湯か燧の湯しかないということで檜枝岐へ向かった。
入浴後、この時間で飯が食えるのは伊南の一道しかないということで伊南へ向かった。
食後力尽き、きらら289で車中泊して、翌朝たかつえ温泉の白樺の湯で朝風呂に入り、会津若松のうえんで食堂で朝ラーを食って帰った。