2008年7月19日~20日に1泊2日で川入登山口から飯豊本山まで往復したが、この時はあまり天気も良くなく、すぐ下山してしまった。
この翌年リベンジで再度飯豊連峰に登ることにした。(2009年9月19日~21日)
2008年に登った時の飯豊連峰
目次
弥平四郎登山口から切合小屋へ
前年は川入登山口から登ったが、当時は山登りを始めて日が浅かったため、帰りの剣ヶ峰と長坂の下りで完全に足がやられてしまった。
そのため、今回は弥平四郎登山口から登ってみることにした。
YOさんとGT四段と私の三人で弥平四郎登山口の看板の前で記念撮影をしてから登り始めた。
行きは松平峠から疣岩山へ向かった。
登り始めて1時間もしないところで、GT四段がザックに外付けしていた新品の寝袋をイキナリ谷間へポロリした。
幸い2~3m落ちたところで止まり回収できた。なぜ紐をフックに掛けていなかったのか。やはりGT四段は油断ならない。常に我々を笑わせてくれたり冷や冷やさせたりしてくれる。
松平峠は一部砂っぽいところがあって滑るが快調に登る。
天気はそこまで良くないが明日以降は晴れる予報だ。
今日はさっさと切合小屋へ行って泊まり、明日勝負だ。
飯豊本山から御西小屋へ向かう途中で爆風で死にかける
切合小屋を暗いうちに出て飯豊本山へ向かった。
快調に本山まで行けたが、本山山頂は爆風であった。
山頂を堪能する間もなく御西小屋へ向かう。
ザックに付けていたザックカバーがいつの間にかなくなっていた。
やはりザックカバーはザックにベルト等でくくりつけるタイプのものでないとダメだと思い知らされる。
御西小屋へ向かう途中も容赦なく風が吹き付け、どんどん体温が奪われる。
まだ薄暗い中ひたすら歩いているうちにだんだん意識が遠のいてくる。
意識が薄れてきて現実なのか夢の中なのか分からないような感覚になってきたところで、御西小屋に着いた。
あと少し爆風に打たれていたら低体温で昇天していたのではないかとぞっとする。
死にかけた地獄の御西岳から天国の大日岳へ
凍えて御西小屋へ避難して休んでいたところ、外から人が入ってきて「晴れてきたぞ!」と叫んだ。
「ほんとか~」と思いながら外に出た。
我々のみならず、歩いている人達みんなが喜びの雄叫びを上げている。
振り返った御西岳も素晴らしすぎる。
この世にこんな素晴らしい景色があるのだなと思いながら大日岳へ向かう。
山頂が近づくに連れて急登となるが、絶景でテンションが上がりもはや苦痛を感じない。
負荷が上がれば上がるほど多幸感が増してくる。
脳内多幸物質ドパドパだ。
飯豊連峰最高峰の大日岳で記念撮影をし、昼食でさらに多幸感を満喫する。
YOさんはなぜか固形燃料を持ってきて調理している。
昼食を終え少し昼寝をして名残惜しいが帰りも長いので山頂を後にする。
素晴らしいところだった。今生でまたここへ来ることがあるだろうか。
最初で最後の大日岳かもしれないと思うと切なくなってくる。
雲がさらに取れてきて周辺の山がどんどん見えるようになってきた。
行きで死にかけた御西小屋~本山山頂の間も晴れて風もなく快調に戻る。
切合小屋へ戻る手前の草履塚まで来た頃にはGT四段はもうぐうの音も出ないようであった。
多幸感に包まれながらの下山
翌日は切合小屋前で御来光を拝んでから下山を始めた。
秋晴れの中、絶景を見ながらの下山で超気持ち良い。
これまでにない多幸感だ。
もう後戻りすることができない多幸感の世界に足を踏み入れてしまったようだ。
帰りは巻岩山経由で弥平四郎へ下山した。
会心の登山の余韻に浸りながらさゆり荘の温泉に入って帰った。
コースタイム
2009年9月19日
9:55 | 登山開始(弥平四郎登山口) |
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14:20 | 三国小屋 |
15:20 | 切合小屋到着 |
2009年9月20日
3:00 | 切合小屋出発 |
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5:30 | 飯豊本山 |
7:00 | 御西小屋 |
8:55 | 大日岳 |
12:50 | 飯豊本山 |
15:15 | 切合小屋 |
2009年9月21日
6:00 | 切合小屋 |
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10:45 | 下山(弥平四郎登山口) |
[…] 前回の山行では死にかけながら到達した御西避難小屋も今回は快晴で映える。 […]