東日本大震災と東京電力ホールディングス株式会社福島第一原子力発電所の原子炉建屋連続大爆発の大混乱から若干落ち着きを取り戻しつつあった2011年7月24日、abさんとkmさんと3人で谷川岳に初挑戦することになった。大災害の後で改めて実感するが、やはり命あっての山登りだ。
目次
土樽登山口の100台駐車場
早朝、というか深夜発でめちゃくちゃ眠かったが、abさんが運転してくれた。関越道を北上し、水上インターチェンジで降りるのかと思いきや関越トンネルへ突入した。
土合からロープウェイで天神尾根を登るか、西黒尾根から登るのだと思っていたが、abさんによれば土樽側には100台の駐車場が完備されているとのことであった。
土樽の登山口の駐車場まであと少しというところで、路肩に駐車している車を見かけるようになった。
もしや100台の駐車場が満車になっている?!という不安が脳裏をかすめた。噂には聞いていたがさすがは大人気百名山・谷川岳だ。
とりあえず行けるところまで行こうということで駐車場へ突入した。
駐車場へ着いたところ、なんと車が1台も停まっていなかった。拍子抜けだ。ひやひやさせやがって。
まあ良い。早速登る。
茂倉新道を勢いよく登る
3人で勢いよく登り始めた。
非常に天気が良い。南側の万太郎山?がよく見える。これは多幸感確定だ。ますますペースが上がる。
一気に矢場ノ頭まで駆け上がる。蒸し暑くて登り始めから汗だくだ。
暑い中ずっと登りだが高負荷なほど多幸感も増し増し間違いなしだ。
しかし茂倉岳避難小屋手前辺りからガスが出始めた。不吉な予感がしてくる。
茂倉岳避難小屋に着いて小屋の中で少し休んだ。外はめちゃくちゃ蒸し暑いが、小屋の中は外よりは少し涼しい。
小休止後さらに進み、茂倉岳に着いた。ますますガスが出てきている。多幸感が一気に絶望感に変わっていくのをひしひしと感じる。
増大する絶望感を胸に秘め、さらに進む。
一ノ倉岳で力尽きる
一ノ倉岳まで進んだが、ガスガスでもはやオキノ耳もトマノ耳も見えない。谷川岳はこの世から失くなってしまったようだ。。
汗だくで勢いよく登ってきた疲労と眺望がなくなった絶望感により一ノ倉岳山頂でノビてしまった。
そこへなんと西黒尾根から登ってきたyoさんとymさんが現れた。一ノ倉岳山頂でノビて横になっている私に「どうしたんですか~~」と話しかけてくる。
何か言葉を返したいがぐうの音も出ない。というかゲロを吐きそうなくらいだ。
戦意喪失だ。眺望のない山頂に用はない。谷川岳に行かないんですか~~と言われたが、私はピークハンターではない。素人下山家勤め人である。潔く下山だ。
kmさんが一緒に下山してくれることになり、abさんは谷川岳を往復して追って下山することとなった。
先に下山して無駄に広い100台駐車場でコーヒーでも飲んでabさんを待っていようと話していたが、茂倉岳避難小屋を過ぎたあたりで早くもabさんが追いついてきた。さすがはabさんだ。
関越トンネルの排気口?
無事下山したが、その先の帰りはもう記憶がない。
後日yoさんとymさんに「あの日何で谷川岳に行かなかったんですか~~」と何回も言われたのは言うまでもない。
恥辱的な下山となったが、致し方ない。私は素人下山家勤め人である。
谷川岳=恥辱の方程式ができあがってしまった。
この恥辱を晴らすのは7年先の2018年となる。